進撃の浦山ダム〜第六章〜
7代目シルビアは希代のドリフトマシン。
天真爛漫な性格ながらも、どこか儚げな印象の少女。

車
日産 シルビア 7代目 S15型
1965年に販売が開始されて以降、日産の看板モデルとして長年愛されてきた日産 シルビア。
中でも1988年に販売が開始された5代目シルビア(S13型)は、“デートカー”として当時の若者を中心に絶大な人気を博し、
累計で約30万台というクーペモデルとしては望外のヒットを記録することとなった。
一方、5代目シルビアは当時既に絶滅危惧種となりつつあったFRスポーツクーペである上、その優れたハンドリングと十分なパワーを発揮するターボエンジン搭載モデルが用意された事からスポーツ走行への適正が極めて高いモデルでもあった。
その為、多くのチューニングパーツが開発されることとなり、走り屋の若者を中心に大変な人気を博すこととなったのである。
そして、1993年10月、満を持して6代目シルビア(S14型)がリリースされた。
シャーシやエンジンこそ先代の5代目シルビアを踏襲したものであったが、ボディは曲げ剛性で約200%、捻り剛性で約150%UPと飛躍的な進歩を遂げ、全長やホイールベースの延長とワイドトレッド化された車体によって安定性を増し、更にエンジンもパワーアップを果たす事でその走行性能は大幅に引き上げられたのだった。
しかし、その一方でファンからの反応は冷淡であった。
大きく重くなった車体と新たなスタイリングが不評だったため、販売が低迷したのである。
販売当時は“コンパクトなボディのショートホイールベースの車こそがスポーツカーである”という
固定概念が今だ根強い時代であったため、6代目シルビアは当時の走り屋達から
スポーツカーらしさが希薄であると判断されたのだ。
そこで、日産は後継である7代目シルビアの開発に際し、ある決断をする。
ボディサイズをよりコンパクトに設計し直した上で運動性能に更に磨きをかけ、スポーツカーらしいシャープなスタイリングを与えようとしたのである。
そして1999年1月、7代目シルビア(S15型)はリリースされる運びとなった。
ホイールベースこそ2,525mmと先代と同値であるもののボディの全長や全幅は日本の峠道でも扱い易いサイズにまでコンパクト化され、それと同時にボディ剛性は先代よりも飛躍的にUPし、S14型シルビアからキャリーオーバーされたSR20DET 直4 2.0L ターボエンジンは先代比で30馬力向上、ミッションは新たに新設計の6MTが採用されるなど、その戦闘力は大幅に高められることとなった。
その結果、高い走行性能と流麗なスタイリングを併せ持った7代目シルビアは熱狂的な支持を獲得することに成功したのである。
又、5代目シルビア(S13型)・6代目シルビア(S14型)・7代目シルビア(S15型)と姉妹車である180SXはサスペンションやボディの基本構造、エンジンの基本設計が共通のためチューニングパーツの共有が可能であり、対応するチューニングパーツの数は結果的に膨大なものとなった。
そして、シンプルで頑丈なメカニズムやドリフトに適したディメンションを併せ持った7代目シルビアは希代のドリフトマシンとして近年のドリフトシーンで大いに活躍することとなった。
しかし、7代目シルビアは単なるドリフト向けのスポーツクーペではない。
数多のチューニングパーツが用意されることもあり、7代目シルビアはドリフトだけでなくグリップ走行・最高速・ドラッグレースなどの様々なジャンルに対応可能なオールラウンダーなマシンとして今なお多くのチューニングカーフリーク達の圧倒的な支持を集め続けているのである。

アニメ
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(公式ホームページ参照)
昔は仲良しだった幼馴染たち。
でも、高校生になった彼らの距離はいつの間にか離れてしまっていた。
ヒキコモリぎみの主人公“じんたん”。
ギャル友達に流され気味の“あなる”。
進学校に通う“ゆきあつ”と“つるこ”。
高校に進学せず旅を重ねる“ぽっぽ”。
そして、仲良しだった小学生の頃から、
それぞれが変わっていく中で変わらない少女“めんま”。
ある日、“お願いを叶えて欲しい”とじんたんにお願いをするめんま。
困りながらも“めんまのお願い”を探るじんたん。
そのめんまの願い事がきっかけとなり、
それぞれの町域でそれぞれの生活を送っていた幼馴染達は
再びかつてのように集まりはじめる。

キャラクター
本間 芽衣子(ほんま めいこ)
天真爛漫な性格ながらも、どこか儚げな印象の少女。
幼い頃、川での事故によって亡くなり、霊的な存在として“じんたん”の前に再び現れた。
記憶は生前から変化していないものの、容姿は生前から成長した姿となっている。

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